
『紅葉狩』-和風幻想RPG『不知火』短編小説-
著●はぐれ
――物語は、死から始まる。
〇
信濃国、戸隠山の昼。
紅葉が、茫乎とした剣士の上に揺れていた。
腰に無銘の打刀を差し、紫紺の紐で朱の甲冑を着込んだ男であった。
歳は二十歳かそこらで、甲冑には一つの傷もない。恐らくは初陣であろうが、それにしては妙な、この世ならぬ風格を剣士は放っていた。
とくに兜の下の、その双眸――死者のように濁りつつ、尚、熾火の如き意志に燃ゆる瞳が、幽世の気を帯びている。
それは、不知火と呼ばれる存在。
神により黄泉返りし、不死者である。
「……なにを呆けている?」
シラヌイの足元で、ふいに低い声が聞こえた。
見れば落葉の上に、白い犬が座っている。
「よもやお前さん、目的を忘れたのではあるまいな」
犬は、口を閉じたまま、シラヌイの脳裏に人の言葉を送り込んでいた。
「いや……」
シラヌイは、白犬――神の使いたる大神――から目を離し、山道の行く末を見た。
大鳥居。
高さ六間を超える朱の構造物が、林間に佇立している。鳥居の向こうに伸びる石段の先に、茅葺き屋根の門があった。
「であれば気を抜くな、シラヌイ。門を潜れば、もはや禍鬼の巣穴よ」
シラヌイは頷き、紅葉に包まれた山道を歩きだした。
白犬がそれに続く。踏まれた楓の葉が、爽快に鳴った。
禍鬼を狩る。それは、シラヌイに課せられた使命だ。
死んだ人間が、恨みの言霊によって災禍なす鬼となったものを、マガツミと呼ぶ。
「不滅の鬼。災厄の怪――奴らは手ごわい。心して掛かれよ」
そう言った白犬は、門の前でふいに足を止めた。
「どうした?」
「ここは随神門。神域であるが故に、われは通れぬ。だが、案ずるな。われが吉凶を占ってやる」
白犬の傍らに、いつの間にか御籤の入った木の筒が置かれている。
引け、と白犬は鼻でそれを指した。シラヌイは腰を屈め、筒の穴から、中のくじを一枚つかみ取る。
「中吉だ」
「ほう、悪くない。楽な道ではなかろうが、活路は見いだせよう」
シラヌイは、随神門を見上げた。錦秋の季節――戸隠山の三十三の窟には、旅人や修験者も多く訪れる。
門を潜る旅客の姿を見ながら、白犬がつぶやいた。
「急いだ方がよいな……。よいかシラヌイ、マガツミは時に人を惑わす。その時は‟目に見えるものだけ”を信じるな。思い出せ、この世の全てが幻想なのだ」
「分かった」
戸隠山。
戸隠山三十三窟のうち、シラヌイが向かう先は、「獅子窟」「象窟」「鷲窟」「龍窟」の四つ。それらは、死窟と呼ばれていた。
「どの死窟に居るか分からぬぞ。気をつけろ」
「ああ」
その言葉を背に、シラヌイは門を潜り抜けた。途端、嵐のような落葉がシラヌイの身を叩き、幻のようにかき消えた。
「――呼んでいるのか、マガツミ」
白犬の消えた山景を踏みしめ、シラヌイはその歩を進めた。
〇
――『獅子窟』。
剥き出した洞窟の岩肌に、苔と落陽が染みついている。
その湿った大気にたゆたうように、高く、伸びやかな音が響いていた。
笛の音であった。洞窟から、か細い、哀愁を帯びた音が漏れているのだ。げに美しき調であった。
シラヌイは、その入り口を斜めに望む位置から、しばし情景を眺め、思案を巡らせていた。
死窟に現れる鬼の噂は、今では広く修験者にも知られている。そこにわざわざ入り込み、笛を奏でるのは妙であった。
「おい、居るのか」
シラヌイは柄に緩く手を掛けてから、洞窟に足を運んだ。
笛の音は途絶えず、返答はない。
「聞いているか?」
入り口を覗き込む。
斜陽に照らされ、横笛を奏でる男の姿が見えた。男は、古めかしい烏帽子と狩衣に身を包んでいる。
場にそぐわぬ貴人の装いであった。
この死窟の中に、その気品はなまなましく浮き彫りとなって、異様なぬめりを纏っているように思えた。
「何故、こんな場所に?」
シラヌイの足音が響くと、ふと笛の調べが止んだ。振り返った貴人が、どこか寂し気な笑みを浮かべる。
「これはこれは。山奥で不思議なご縁だ、旅のお方。それがしは名を、源経基と申す」
「源――」
「左様。貴方は?」
シラヌイは、人の世で扱う名を述べた。
「俺は埋火。思い出せぬ故、そう名乗っている」
「ほう、それは……」
経基は、シラヌイを慈しむように目を伏せた。
「記憶とは、不自由なもの。それがしも、この地に忘れえぬものがある……」
胃にわだかまった縄を、ゆっくりと手繰るような重い口調だった。
「忘れえぬもの?」
「うむ……」
悲痛の顔で、経基は話した。
――いまは昔。平将門が、武蔵国で乱を起こした折。経基はこの山に、愛した女を捨てた。
戦に向かう為であり、「必ず戻る」と告げての事であったが、戦火は激しく、ついぞ約束が守られることは無かった。女は経基を待ちつづけ、苦悩の末に彼を呪い、死んだという。そして経基は、女が愛した横笛の音で彼女を供養しているのだ。
と。
洞窟の外に、一陣の風が吹いた。
「用向きは心得た。だが此処には鬼が出る。特にこの洞窟は。去る方がいい」
シラヌイの言葉に、経基は重苦しくかぶりを振った。
「それはできぬ。なぜならその鬼が、それがしが捨てた女……その亡霊であるがゆえ」
「なに……」
一時の日の翳りが、経基の表情を覆った。
「旅の方、頼みがある。その亡霊を見たならば、『ここに経基が居る』と。笛を吹いていると伝えてくださらぬか」
危険な頼みであった。
シラヌイは逡巡する。
「だが」
「頼む。その女の名は――」
瞬間。
シラヌイの見ていた景色が、瞬くように白熱した。閃光の後に静寂が訪れ、シラヌイの目の前に居た経基の姿は、いつの間にか消え失せていた。
「何が起こった……⁉」
シラヌイが身じろぎすると、右の具足が何かを蹴り飛ばした。
カツン……
硬質で軽やかな音を立て、それは岩肌を転がっていく。それは先ほどまで経基の吹いていた、白い横笛であった。
さらに動かした具足が、じゃり、と音を立て、足元に散らばった骸骨と狩衣を踏み荒らした。シラヌイが、おもわず息を呑んだ。
「経基は、すでに死んでいたのか……」
冷たい風が、首を撫でる。
『――思い出せ、この世の全てが幻想なのだ』
白犬の言葉を思い出す。シラヌイは屈み、経基の遺骸を正してから手を合わせた。改めて獅子窟を見回し、そこにマガツミの姿がない事を確認する。
「どこへ向かうか……」
洞窟を出ると、木立を吹き抜ける風の中に、韻律を持った人の声が聞こえていた。
「読経……?」
それは、死者を弔う経だ。
女を供養する者が、他にも居るのかもしれなかった。シラヌイは声を辿り、獅子窟を後にする。
その行く手を追うように、ザアッ、と紅葉の葉が、土砂降りに降り注いだ。辺りにもう、風はなかった。
〇
反り立つ岩壁を、シラヌイは張り付くようにして登る。
崖に体を引き上げると、まず線香の煙が鼻についた。目の前に、翼を開いた鳥のような窟が見える。
「ここが鷲窟か」
読経の声は、すぐそこで響いていた。苔むした石塔の傍らに、一人の僧が立っている。
念仏に誘われるように、周囲に紅葉が舞っていた。
「おい、ここは危険だ」
シラヌイが歩み寄ると、突如、僧の足元の地面が割れた。
「む⁈」
割れた地中から突き出したのは、二本の腕――骸骨の腕であった。骨の指先は、僧の合掌を掴み、震えるほどの力で石塔へと叩きつけた。
骨がくだける残酷な音が、山中へと響き渡る。僧は自らの手を、信じられないと言った目で見ていた。
「あ、あああっあっ!」
絶叫する僧の後ろで、シラヌイは無言で刀を抜いていた。姿を見せた骸骨の鬼が、錆びた槍をシラヌイに突き出す。
「亡霊か……?」
尋常ならざる速度で以て、シラヌイは前方に踏み込んだ。槍の穂先を、刀の切っ先で巻き込むように弾き飛ばし、がら空きの胴体に一刀を放つ。
気味の悪い音とともに、肋骨が数本、まとめて叩き折れた。
「(――マガツミにしては弱すぎる。これは、百鬼か)」
振り払われた反撃の槍を、シラヌイは刀身を構えて受け止めた。そのまま刀を跳ね上げ、骸骨の手首を蹴り飛ばす。
「――!」
肉のない喉に悲鳴が上がり、骸骨が槍を落とした。
「眠れ」
一閃が弧を描き、軌道上に居た骸骨の首が、あっけなく鷲窟の奥へと転がった。
刀が、流麗に腰元へ収まる。
これは、シラヌイの初陣にして、初めての戦いだった。黄泉返りながらに備わる、圧倒的な武芸がこれを可能とした。
おもわず、シラヌイは己に疑問を抱く。生前の自分は、どのような人間だったのだろうか。
「う、ぐう……」
僧が苦悶の声を上げ、シラヌイは我に返った。傍らに腰を下ろし、傷を見る。ひどい出血と骨折だった。
「まずいな。血を止めるぞ」
「い、いえ。拙僧は平気で御座ります。それよりも……」
僧は震える手を伸ばし、鷲窟の上――切り立った崖に立つ、紅葉の木を指さした。
「あれが?」
「拙僧は、罪を犯しました。拙僧はここで、鬼女と呼ばれた身重の女を、き、斬り殺したので御座りまする」
取り憑かれたように、僧は目を見開いて言った。シラヌイは軟膏と包帯を取り出し、僧の手を巻いた。
「……その女、この山に出るという亡霊か」
僧は、なんども首を縦に振った。
「おっしゃる通りで……」
「なぜ斬った。それは、経基どのの恋人であろうが」
「……拙僧、世俗の名を、平維茂と申しますれば。ここに鬼女が棲むとの訴えを受け、都から参ったので御座りまする」
シラヌイの中で、得心が行った。
そして、つまり、この男も。
「その昔、貴殿が斬ったのは、ただの女だ。それは許されざる事。だが貴殿はもう、十分に悩んだのだろう。償おうとしたのだろう。鬼を斬るのは、俺の仕事だ。貴殿の罪、俺が引き受ける」
僧は、泣きながら頷いた。
「血は、止まったぞ」
シラヌイは立ち上がり、僧の指差した紅葉の木へと振り返った。景色が、白く明滅する。
崩れた石塔と、白骨に敷かれた僧衣とが、夕日に照らされていた。
――お頼み申す。人知れず灯る燈火……シラヌイ殿。
その僧の声は、幻聴の類であったか。
「む……」
声に呼ばれたように、シラヌイの四囲を、渦巻く炎が如き紅葉が舞い始めた。
瞬く間に、視界が紅に包まれる。瞑目したシラヌイを目掛け、天から、けたたましい女の哄笑が降りしきった。
血に満ちた喉の奥から、泡とともに吐き出されるような、怖気だつ音色だった。
「貴様は……」
シラヌイの頭上で、何かが風を切る。
「ぐっ⁈」
紅葉の帳を、拳大の岩石が貫き、突如シラヌイの右鎖骨を打ち砕いた。
哄笑が、ますます高らかに木々を揺らす。
「まこと、愚かな男どもよ」
「――貴様が、マガツミだな」
女の笑いが止んだ。
「いかにも。わらわが、戸隠山に棲み憑く『鬼女紅葉』ぞ……」
とぐろを巻く紅葉の向こうに、着物の脚が見え隠れする。
「なぜ、関係のない者を殺す」
「知れたこと。わらわが居ることの証明よ。わらわが生きていた証、哀しみの内に死んだ事。それを、人の世に繋ぎ止める為よ」
そなたにも分かるであろう、シラヌイ――。その女の声が、残響する。
「俺に分かる……?」
「で、あろう。わらわは、人の頃の名も、何を恨んでいたのかも、既に定かではない。生きる意味がない。だが、死ぬことも出来ぬのだ。それはそなたとて同じこと……」
負の言霊による、不滅の呪い。
それによりマガツミは、あの世とこの世から隔絶されている。その呪縛を断ちえるのは、常世と現世のはざまに在る、シラヌイだけだ。
シラヌイの顔に、憂いが差した。
「先で待っておるぞ、シラヌイ。わらわを……わらわの迷妄を、ここで断ち切っておくれ……」
紅葉の吹雪が止む。
沈黙を、落陽が包んでいた。
鷲窟の上に、もう一つの窟が開いている。入り口は、九の首をもたげた竜に見えた。
――龍窟。そこに、鬼女が居るのだろうか。
「ぐ、う……」
砕けた鎖骨の痛みが、遅れてシラヌイを襲った。右腕が、力なく垂れ下がる。
まともに刀を抜くことは、不可能であった。
そのシラヌイの背後に、ザッ、ザッ、と――何者かが葉を踏み鳴らす音が立つ。
妙な琴の音が響いた。それはひどく歪な……まるで獣が垂涎し、それでなお平静を取り繕うような、獰猛に拗くれた旋律。
明確な殺意であった。
シラヌイは振り返らず、左手で鞘の下緒を解く。佩いていた刀を外し、落ちてゆく鞘を左手で掴む。
狂った琴の音が、真後ろに迫った。
「ゲヒャッ!」
本能を剥き出した叫声――そこを目掛け、シラヌイは背面に鞘を打突していた。
「ギッ⁈」
くぐもった悲鳴と、確かな手応え。
振り向きざま、シラヌイはその鬼の脳天と顎先を、鞘で垂直に叩き割った。
だが――
「ギギイイイイッ」
損傷を厭わぬ鬼の両手が、シラヌイの肩を掴む。
それは慙愧の形相の、般若であった。天を向いて開かれた乱杭の歯列。直後、それはシラヌイの首筋をめがけ、深々と食い込んでいた。
「がぁ……っ!」
ぞぶり、ぞぶり……
もがくほど、その牙はシラヌイの肉の内に潜った。
鞘を落とした手で、シラヌイは鬼の首をへし折り、拘束を逃れる。自らの夥しい流血が、皮膚を伝った。
目の前で灰化していく百鬼を見ながら、シラヌイは、周囲を取り囲む無数の気配を悟る。
「くそ……」
左手で生傷を抑えた。シラヌイの内に宿る霊力が、欠損した部位の肉芽を生み出し、傷は瞬く間に癒えていく。
だが、それも無限ではない。鎖骨までを癒し終えたシラヌイは、自分の内側からその力が尽きたことを知った。
既に、無数のヒャッキの目が、木立の隙間を埋め尽くしていた。
「ここまでなのか――」
ヒャッキとは、形を得た悪しき言霊。それは、より強きマガツミの邪気に誘引される。
鬼女の気配に惹かれ、彼らはそこで、獲物を見つけたのだ。手負いのシラヌイという獲物を。
シラヌイは、燃えるような天を眺めた。
『……なにを、呆けている』
空から、聞き慣れた声がした。
「大神……?」
「お前さん、死なぬからと言って、軽々しく諦めるでないぞ」
「見ていたのか……。だが、最早これでは」
シラヌイは再び、四方を見た。
髪を振りみだす般若、骸骨の槍兵、腹を膨らませた餓鬼……そのような魍魎が、何十と周囲を囲んでいた。
「バカもの。一度一度の生に執着するのだ。でなければ、マガツミと同じよ。よいか。すべて斬るのは難しくとも、龍窟へと突っ切ることはできよう」
「龍窟……」
シラヌイは弾かれたように、岩壁を仰いだ。そうだ、そこに鬼女が居るのだ。
崖に吹き荒れる紅葉と、吊るされた女の遺骸とが見えた。晴らされぬ無念がそこにあった。
「夢中でよい。只、そこに至ることを思え。さすればその身体、限界まで動かせようぞ」
「――」
シラヌイは、黙す。刀を拾い、柄に手を掛けた瞬間、余分な意識が消えていた。
ただ向かう。
縺れた因果を断ち切る。シラヌイは己を、一本の刀と信じた。
「……参る」
それは低く、誰も知らぬ決意の声。
蹴とばした数枚の葉を残し、シラヌイの姿が、地上から失せた。
「ギ……」
龍窟への動線にいた一匹の餓鬼が、濁る目で消えた獲物を探す。左右、背後。――上方。
そこで餓鬼の瞳は、隼の如く迫りくる、一筋の閃光を見た。
「アガッ」
餓鬼の脇にいた二体の般若が、いきなり斜めに寸断された。滑り落ちる右の視界で、餓鬼は、鬼神と見紛うシラヌイの貌を見る。
燈火が、吼えた。
「おおおおおおッ!!」
目前の骸骨を飛び越し、その眼窩と鼻孔を指で掴む。右下方から迫る般若の咢に、シラヌイはその頭蓋を叩き付けた。へし折れた牙としゃれこうべが飛散する。
身を捻り、跳梁してきた餓鬼の胴を、二体まとめて断つ。
肩口に刀の峰を乗せ、シラヌイは疾走した。
岩壁を、まるで地を駆けるように登る。頭上から飛来する武者の生首を四つ、駆け上がりながら斬った。
シラヌイが、崖の上に大きく翔ぶ。そこに投じられた槍を叩き斬り、着地と共に、その持ち主を切り裂いた。
無双の乱舞。
なお立ち昇る熱をしまうように、シラヌイは刀を鞘に納めた。
「来たぞ――鬼女紅葉!」
「よくぞ」
紅葉の樹。
生前の鬼女が吊るされたそこに、美しい女が立っていた。月夜の海のごとく煌めく髪。
熱を失いつつある大気に、神楽鈴の音が響いていた。
「わらわは鬼女、紅葉。災いをもたらす不滅の鬼――」
女が歩み寄る。
次第にその髪は、血を編んだように紅く染まり逆立つ。額に金色の角が生じ、黄土の牙が、その唇からあふれ出した。
瞳は、冷たい鋼のようであった。
「シラヌイよ。わらわを滅ぼし……この恨み哀しみを、消し去ってみよ……」
哀しき声音とともに、女の身が、張り裂けるように膨張した。身の丈が一丈を超え、全身を棘のような体毛が渦巻く。絶叫が山彦となって反響した。
シラヌイが、刀を抜く。
「――『斬る』」
シラヌイの周囲に、紺碧の炎が舞った。揺るがぬ意思が言霊となり、鬼火と化して烈々と燃える。
刹那。
マガツミの腕が空を抉り、シラヌイの頭部を打ったかに見えた。だがシラヌイは、その腕の下を影の如く疾駆していた。
ひいいん……
すすり泣くような音とともに、無銘の刀がマガツミの中心を貫く。鬼火が刀身を伝い、碧き炎が鬼を焦がした。
「お、おおお、お……」
「経基殿は、獅子窟にて、待っている」
刃が、一息に横へ流れた。鬼女の胴が裂け、古木が折れるように、その巨躯が地に沈む。
「あ、吁……、ようやく、死ねるのでしょうか……」
「……」
「お、思い出しました。私の名は……呉葉。私は、私を思い出して……ああ、経基殿……」
マガツミの姿が、元の美しい女へ戻り、そして、灰となって夜空に消えた。
白塵が、星のごとく散る。
「終わったか」
砕けた兜を脱ぎ、シラヌイは髪を風になぶらせた。漂っていた灰の一部が、シラヌイの鎧の隙間に入り込む。
マガツミを縛った言霊が、宿る。
「む……」
シラヌイの脳裏に、桜の花吹雪を歩く何者かの情景が浮かんだ。それはひどく懐かしい映像。シラヌイはなぜか、その人物を愛しく思った。
――すぐに情景は途切れ、もとの暗い山景が広がる。
「今のは……」
「お前さんの記憶だ。忘れようとも、その魂に刻み込まれていたものよ」
白犬の声が、空から注いだ。
「そうか。これは、俺のものか……」
「うむ。それにしてもお前さん、もう霊力が尽きておるな。すぐに戻るか?」
「いや……」
シラヌイは耳を澄ました。
夜の山肌に、横笛と琴の音が軽やかに響いてくる。
「もう少し、幻想を見る」
――これは死から始まる、永久しき物語。
(終)
【書籍情報】
和風幻想RPG 不知火
著■小林正親と歌風座
発売日■好評発売中
値段■2,500円+[税]
ISBN■978-4-7753-1943-7
商品リンク(AMAZON)■『和風幻想RPG 不知火』
想定プレイ人数:2-4人(進行役含む)
想定プレイ時間:1-3時間(キャラクター作成時間含む)
プレイに必要なもの:ルールブック・筆記用具・ルールブック掲載の各種シートのコピー・6面体のサイコロ4個